自然の恵みから生まれた真珠や宝石は、人々の歴史の中で喜びや悲しみを共にしました。
さまざまなテーマでその関わりを掘り下げてみました。
ART&pearls
マニエリスム様式のルネサンス肖像画から真珠をたどる旅
ART
ARTは絵画や芸術だけでなく、地理や歴史、文学も含まれます。
pearlを通してartを語るシリーズ、フィレンツェへの旅です。
肖像画はartの代表のようなもの。
なぜなら、歴史、地理、文学、絵画、たくさんのコトを語ってくれるので。
16世紀のルネサンスの宮廷画家、ブロンズィーノの作品はマニエリスム様式です。
マニエリスムとは、ある様式美のことですが、それについては②に説明があります。
ベロニック ジュエルズはartを通して真珠と女性を研究しています。
はじめに
【公爵夫人エレオノーラ・ディ・トレドの肖像】1545年
アーニョロ・ブロンズィーノ作
イタリア・フィレンツェの画家(1503~1572)ウフィツィ美術館蔵
肖像画のパール
パールは古今東西問わず愛され続けてきた宝物です。
20世紀になり、養殖真珠が日本で生産される前は、貝の中に自然に出来た真珠を探す以外になく、それは偶然を頼りにするしかない貴重な宝でした。
それでは、その貴重なパールはどのような経緯で女性を飾ってきたのでしょう。
中世以降、ヨーロッパでは肖像画がとても多いですね。その女性たちは極めて高い確率でパールを身につけています、
おそらく美しいパールを着用できることはステイタスであり誇らしいのだという気持ちだったと思います。
パールは古代エジプト等、何千年も前から存在し、いつも権力者に近いところにいました。
それをたどることで、その時代の女性の生き方を浮き彫りにするのでは?と、
女性とジュエリーの関わりを考えたい私はとても興味のある探検に思いました。
今回は、このスペイン生まれでイタリアに嫁いだある肖像画の女性にフォーカスし、その人生を追います。
スペイン王国の始まり
スペイン、カスティーリャ国
それは16世紀、1534年、一人の愛らしい10歳の少女は生まれ育ったスペインを離れ、父親のいるイタリアのナポリへ旅立つ事を楽しみにしていました。
少女の名は、エレオノーラ・アルヴァレス・デ・トレド・イ・オソーリオ。
父はアルバ公家の次男、ペドロ・アルヴァレス・デ・トレド。スペインがまだ内戦でいくつかの国に分かれていた、カスティーリャ王国の中の貴族の家柄の出でした。
母は、ドナ・マリア・オソリオ・イ・ピメンテルの次女。ビジャフランカ侯国の末裔であった母マリアは侯爵の称号と領土を夫に授けました。父はビジャフランカ侯爵であり、又、アルバ家としてスペイン王に忠誠を誓っていました。
スペインは長い内戦の末、カスティーリャ王国とアラゴン王国とで、イスラム教国からカトリックのキリスト教国へと統一できたのは、エレオノーラの生まれた時より30年ほど前の1492年、
レコンキスタ(統一)と新大陸発見で湧きたっていたのはついこの間のこと。
スペイン統一の際の女王イサベル1世の孫のスペイン王のカルロス1世は、同時に神聖ローマ皇帝カール五世も兼ねていて、
他に20以上もある肩書きにはナポリ王の称号もあるけれど直接統治ができないゆえに、エレオノーラの父親が副王として任に就いたのでした。
政略結婚
メディチ家に嫁ぐ
エレオノーラの育ったのは、
スペインの西部、ポルトガルの近くのサラマンカ地方。
中心地には13世紀創立の大学があり、エレオノーラは極めて裕福な古い貴族アルバ家の邸宅で幼少期を過ごしました。
敬虔なカトリック信者の家族に囲まれて、豪華で贅沢な暮らしをしていたとされます。
父親は先にイタリアに副王として赴任し、2年遅れて10歳の頃にに母親や兄弟たち、側近らと移り住むこととなり、さぁ、いよいよナポリでの生活が始まりました。
父親とともに謁見の席につき宮廷作法を習得した他、支配者となるべく教育を受けたスペイン王家の親類らを模範として様々なことを学びました。
海と青い空と光降りそそぐ国ナポリの地でエレオノーラはのびのびと活発で十分に美しく聡明な女性に成長していきます。
そんなエレオノーラが17歳の頃に縁談の話がのぼりました。
お相手は、フィレンツェの商人から身を起こし銀行家として財を成したメディチ家のコジモ1世(コジモ・デ・メディチ)。
新興貴族のメディチ家にとってスペインの王家と繋がる縁談は願ったり叶ったり。
この婚姻はスペイン国王カルロス1世の命によるもので、引き続き北部イタリア、フィレンツェの君主のメディチ家と 同盟することで、フランスに対抗するという政略結婚でした。
縁を結べる女性の結婚は平和な外交戦術の時代でした。
コジモ1世
コジモ1世が2万ドゥカート(金70kgに当たる 金貨・・・日本円で今の金相場で約3億8千万円)という高額の結納金と引き換えに得るエレオノーラとの結婚により、メディチ家は神聖ローマ帝国とスペイン王国との強固な関係を築きカスティリャ家の貴族の血をメディチ家に取り込んだ形になりました。
長身の二十歳のコジモ・デ・メディチは、有能で判断力に長け、まじめで強い意思を持ち、そしてあまり人を信用しないという気難しい一面もありました。
ですが、美しいエレオノーラにコジモは好印象をもち、1539年二人は盛大で壮麗な結婚式を挙げることになります。
政治的結婚でしたが、結果的に二人はとても仲がよく円満な家庭でした。
エレオノーラも愛情深く従順につくしていたそうで、二人の間には11人の子どもが誕生しました。
肖像画とパール
結婚後のエレオノーラを肖像画とともに考えていきたいと思います。
一枚の肖像画から事実を知ると想像が膨らみます。
息子ジョヴァンニとエレオノーラ↓
私は真珠の産地を調べるうちに、真珠が世界史の大きな流れに組込まれていることにとても興味がわき、真珠の視点で世界史を眺めています。
https://veronic-jewels.com/jewelry-history/3505/
(日本からアクセサリーが消えた理由)
エレオノーラの真珠は彼女の静かな美しさを引き立てるのに十分なほど魅力的です。
23歳の若さでこの品格と堂々とした雰囲気はどのような人物かと背景を知りたく調べるうちに、スペイン王国と深く関係があり、しかもスペインは大航海時代に突入し、新大陸の黄金や真珠等により国は潤いまさに文字通り黄金時代の真っ只中だと気付きました。
今回のパールの旅は、彼女にもたらされた真珠が、もしかしたら南米ベネズエラのものを使用しているのではないかと想像を巡らすところから始まりました。
②に続きます。