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ART& PEARLS/パールでたどる世界史:ルネサンス肖像画エレオノーラ③

自然の恵みから生まれた真珠や宝石は、人々の歴史の中で喜びや悲しみを共にしました。
さまざまなテーマでその関わりを掘り下げてみました。

ART&pearls

マニエリスム様式のルネサンス肖像画から真珠をたどる旅

 

ART

 

 ARTは絵画や芸術だけでなく、地理や歴史、文学も含まれます。

pearlを通してartを語るシリーズ、フィレンツェへの旅です。

メディチ家に嫁いだエレオノーラについて、前回までのお話はこちら

[https://veronic-jewels.com/jewelry-history/3916/]

https://veronic-jewels.com/jewelry-history/3916/

 

??大粒のエレオノーラの真珠はどういう経路でその身にもたらされたのでしょう

スペイン新大陸到達とヨーロッパへの真珠

 

真珠の採れるところ

当時のヨーロッパの天然真珠は主に、アラビア湾のもの、インド産のもの、そしてもう一つは南米のベネズエラ産のものです。

アジアでは日本の九州地方は古代からアコヤガイの貝殻が見つかっています。

 

天然真珠は限られた場所の、リアス式海岸のように入り組んだ海岸、比較的温かい海、少し深めの岩にあこや貝は足をくっつけて生息するのですが、採集にはサメや潜水など危険が伴うものでした。

 

13世紀の冒険家のマルコ・ポーロは「東方見聞録」の中で、オリエントではインドと日本で海の真珠が採れる事を報告し、これらの地域への到達は15世紀のヨーロッパ人の悲願でした。(ア)

東方見聞録(イ)フビライハンに黄金を貢ぐ日本の使者、黄金の国と言われていた。

 

真珠狂想曲のはじまり

海運の盛んなスペイン、ポルトガルはどうしても宝を見つけたく争うように航海へと乗り出します。

領土の拡大と一攫千金の宝探しです。

 

1492年にとうとうコロンブスがスペインのイザベル1世の支援によってカリブ海の島に到達しました。

女王との協定に基づき、この島をカスティーリャ王の領土(カスティーリャ王=イサベル1世)を宣言し、サン・サルバドール島と名付けました。(ウ)

 

1493年のコロンブス2回目の航海でも真珠は見つからず、1498年の3回目の航海でベネズエラに到達し、かなりの量のあこや貝と真珠を発見します。

どんなにコロンブスが喜んだかは想像に難くないですね。

ベネズエラで採れた真珠は相当な量だったのですが国王夫妻にはわずかなものとして報告するだけでした。

でも、航海士たちにはそこにあこや真珠が大量にあることを感じ取って次々にベネズエラに向かって遠征するのでした。

 

スペイン隊がもたらした真珠採取の悲劇

 

スペイン遠征隊と真珠採取

ベネズエラはまさかスペイン人たちが略奪にきているとは思わず、逆に親切に対応をしていたのも仇となり、あれよあれよという間にスペイン人の差し出す安物と真珠や黄金が物物交換にされてしまうのでした。

周辺の島々でも多くの先住民が真珠採取のために過酷な労働で命を落とし、さらに疫病も持ち込まれ、たくさんの命が犠牲となりました。

 

1502年頃には遠征隊によって75キロの真珠を得たという記録があります。

1513年には、パナマの太平洋側で大型の真珠貝が見つかり、大粒の南洋真珠も採れるようになったのでした。(エ)

 

真珠採取に沸くヨーロッパ

このあと、スペインは新大陸の富と植民地を独占した結果未曾有の繁栄期が訪れ、1588年にイギリスに破れるまで「太陽の沈まぬ国」となったのですよね。
このエレオノーラの肖像画の描かれた時は本当にスペインには良い時代でした。

たくさんの数の真珠がヨーロッパに流れ込みました。

そのころ、同時にポルトガルによるインドの真珠も略奪されていた時期と重なったのでした。

エレオノーラの真珠は?

 

肖像画のパールの生まれ故郷

ところで、エレオノーラが誕生したのが1522年で、スペインの遠征隊が帰国して真珠が流通し、ジュエリーとして整うのに十分な時間が流れています。

エレオノーラはカスティーリャのスペイン王家につながる家系であり、父はナポリの副王。
状況的に彼女の着けているネックレスやその他の小さな真珠類はベネズエラ産ではないだろうかと考えます。
また、パナマの大粒の南洋真珠は黒蝶貝でしたが黒以外にグレーや白色も採れたようなので、肖像画の大粒の真珠はパナマ産かもしれません。

様々な色、大きさの真珠が採れました(オ)

 

しかし、これだけの大きさや数を揃えるのにはやはり大変な労力だと推察されます。

この肖像画が描かれたのは1545年で23歳の年、殆どのジュエリーが以下の通りの真珠製です。

・ つゆ型の真珠の大きなイヤリング
・肩から胸元の錦糸と真珠の織物
・短い大粒真珠のネックレスに宝石とつゆ型真珠のペンダント
・長めの大粒真珠のネックレス
・宝石入りのウエストのベルトにパールのタッセル

 

フィレンツェの絹織物とスペインの真珠(おそらく)、ブロンズイーノの絵画はルネサンスの躍動美と異なりますが、その影響を受けつつも肖像画の様式美として冷静に果たしたと思われます。

 

その後のエレオノーラ④へ
https://veronic-jewels.com/jewelry-history/3958/

参考文献
(ア)ー 「真珠の世界史」山田篤美著 富と野望の五千年 p73
(イ)ー Wikipedia:「東方見聞録」(脅威の書)挿絵 フランス国立図書館蔵
(ウ)ー スペインの歴史を知る為の50章 立石穂高、内村俊太 編著 明石書店 p111
  (エ)   ー   「真珠の世界史」(=ア) p86
  (オ)   ー   画像引用元pearl boutique様の画像より

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